個人的な嵐の15周年

昨年、嵐が15周年を向かえた。 世間とのタイムラグがあるのは承知の上で、その15周年が、私にとって大きな意味を持ちそれがようやく昇華できたため、ここに記す。

初めて嵐の「ファン」として自覚してから、1年ちょっとでお茶の間になってしまった。2007年辺りだ。その後味の悪さを抱えながらお茶の間を長らく続け、2013年に再び「ファン」に戻ってきたのだ。

アイドルが心底嫌いな10代を過ごしていた私にとって、数週間で熱狂的熱量でアイドル好きになったから思考が追いついていなかった。アイドルとは?アイドルの曲とは何か?など微塵も意識したことはなかった。アニメのアイドルからでも良いから、アイドルの免疫付けてからジャニヲタにならなければならかった。

未だ私にとっての〝アイドルとは何か〟の答えが出ていないため、はっきりはしていないが、アイドルの曲を歌う彼ら自身が、曲の主人公だ。だから私が好きなアイドルの曲は、彼ら自身でしか完成させられない曲となった時だ。

その時はコンサートでやってくる。バラエティから入ったのも、山田太郎ものがたりの主題歌のHappinessがなんとなく良いなぁとなったのもまだまだで、TimeコンDVDを見て初めて嵐の「ファン」と自覚したのだ。

しかし当時の私は、嵐の仕事(TVもコンサートも取材もその他の媒体も)全部ひっくるめで同じ種類の好きだと思っていた。私はファンなのだから、バラエティの嵐も、コンサートの嵐も同じように好きなんだと。

ゆえに歪みができていく。

バラエティで笑っているのに、全身で泣き叫んでいるような、生死のどっか一つ先の世界を見ているかのような二宮さんにひどく心乱された。それは私自身がまさにそうだったから、としか言えないが、バラエティの二宮さんを見ると自分の闇を無理矢理見せられているように感じていった。しかし、コンサートの二宮さんは純粋に好きだけしかなかった。

真実など分からないのだけれど、バラエティで私が二宮さんに感じていた印象は遠からずだと思う。そしてまた、コンサートでその印象を感じさせなかったのも間違いではなかった。全部同じ種類の好きでなくてはならないのだから、自分の意思で「ファン」なのに、見ていたくない〝好き〟が大部分を占めてしまった事に「ファン」を名乗るをやめようと思い、お茶の間になった。

15周年のNHKのドキュメンタリーで、ステージ裏の二宮さんの腰についてカメラが入り、「腰が痛くてもステージでは一度も苦しい顔はしなかった」というナレーションが付けられた。自分の辛さよりアイドルとしてのプロ意識を取る、という意味だ。私は初めてここで気付いたのだ。(それにしても今更過ぎて、馬鹿さと恥ずかしさで気が狂いそう。)コンサートでの二宮さんは、いつだってアイドルに誠実に真面目に演じきっていたのだ、と。そして、ハワイコンサート後のインタビューで、闇を滲ませていた二宮さんはもうどこにもいないのだ、と。ハリウッド会見の「俳優ではない。嵐というアイドルだ。」がアイドルのプロ意識ではなく、嵐という居場所を手放さない決意表明に見えていたが、いつの頃か二宮さん自身もそこから大きく脱却していった事に、アイドルのプロ意識だけで動けるぐらいに嵐という地盤が確固たるものになった事に、「ファン」からお茶の間になり俯瞰で見られるようになって初めて思い知ったのだった。

「ファン」をやめお茶の間になった私にはその過程を知らないままだ。いつでもステージで演じきる二宮さんと、ステージ外では演じきれなかった二宮さん、そこは別物の感情として見ていたかった。でも、不安定なかまってちゃんを昇華させた15周年を経た今の二宮さんには、濁りのない好きな気持ちしかない!〝好き〟をごちゃごちゃにさせたまま埃となってわだかまっていた私の気持ちも昇華された!時間がかかりすぎだけれど、私には2015年6月までの時間が必要だった。

晴れやかな気持ちで「ファン」を名乗れる事が、どれほど素晴らしいか。涙が出る。

『 私は嵐のファンだ。』