KAT-TUNという概念

充電期間の二年間のうち、いつも頭の片隅にあってことあるごとに思い出しては反芻していた、そういう言葉があった。

 

「みなさんには、本当に感謝しています。」

 

 

 

2016年5月1日、東京ドーム。充電前のラストコンサート。ダブルアンコで、アリーナに降りて下手から上手までダッシュした上田さんに続いて、中丸さんも同じように走り始めたんだけど半分過ぎた辺りで、曲が終わってしまって、中丸さんがステージに戻るまでをドーム全体が待っているっていうシュールな事があって(笑)。ひとりマラソンかっ!ってセルフツッコミしてたけど。その時はもうドーム全体が、充電っていう謎の未知なことへのもやもやを出し切ったデトックス状態で、解放感とか爽快感とかあったかく前向きにがんばろうとかそういう予想もしてなかった空気感に満ち満ちていて。いつまでも終わらないでほしい、ずっとこの空気感の中にいたい、ってきっと誰もが思っていて。3人もそうだったんだと思う。だからマラソンとかになる訳で(笑)そんな空気感だから、素直な率直な気持ちになったんだと思う。はける直前に中丸さんが、「みなさんには、本当に感謝しています。」と冗談めいてもなく真剣モードでもなくいつもの事務的モードでもなく、飾らないそのままの中丸さんで言ったように見えた。昔からの中丸さんを見てきた訳じゃないけど、わたしは初めて見たなって。びっくりした。論理的思考で理詰めな人が、感情のままに言葉発するんだって。本来の性格が繊細で脆く不安がちだから、理論武装するんだと思う。そういう性格の人が武装解くなんてなかなか無いっていうか。まぁこの時はぐちゃぐちゃに泣いた後だから、理論武装解けてたかも、なんだけど。

 

この時の言葉とともに中丸さんの姿が、ふとした瞬間に浮かんできてたなぁって。感謝してるっていう言葉の意味とかじゃなくて、中丸さんの心根にあったその感情が、わたしの深い心のどこかの場所にぼんやり発光してたなぁと。抽象的すぎるけど、ほんとうのところそんな感じなんだよね。ハリポタの映画で、真っ暗闇の深い森の中でたどりついた湖のほとりに青白く立ってこちらを見ていた鹿みたいな生き物を思い出したけど、そんな感じ。

 

二年間は3人が3人ともに、個々の仕事を目一杯行っていて、なんだかんだ楽しくテレビの前にいたしソロコンも行った。一人舞台行きたかったけど当たらなかった。今思うと、たんたんと充電の%ゲージを上げていってたなと。全然、切迫していた感はなかった。エモくならないから、見てるこっちもエモくならなくて、ただじっーと充電のコンセント見てるみたいな(笑)

 

きっと東京ドームのあの空気感が、ここまで引っ張ってきたと思う。わたしには中丸さんのあの姿が頭の片隅にあったけど、人それぞれに脳裏に何かしらのある姿とか気配とかそういう類いの何かがあったんだと思う。

 

2018年4月22日の東京ドームで、トリプルアンコールやってくれて。曲が用意されてないからアカペラで亀ちゃんが歌いだして。いやそれよりも前にアンコールって聞きたい言ってって駄々こねるめんどくさい中丸さんとか。中丸ボイパのリズムと上田ピアノの旋律と歌う亀梨声とか、メビウスの輪みたいな、完成されたトライアングルだなと思ったり。四人時代からのファンだから、四人の図式もすごく好きなんだけど(六人時代や五人時代もそれぞれに好きだし当たり前だけど)、別にその当時のが完成されてないとかじゃなくて、形を変えてもKAT-TUNという概念が唯一無二だから揺るがないから、なんかもう人数とかじゃないな、ってやっと思える所に来たのかなって。そう言えば、KAT-TUNのファンだけが東京ドームの三角のオブジェに集まるのって、概念の可視化じゃんって、今わけわかんないこと思ったりしてます、はい。

 

いつか何年か後に、あの充電期間って結局何だったんだろう、って思うのかもしれない。思うといいのかもね。亀ちゃんが、脱退とか人数とかじゃなくて、単純にオシャレとかかっこいいとかそういう所で見てほしい、って言うから、わりとすぐに充電期間のこと過去になるんだろうなぁ。でも、わたしはこの二年前と二年後の東京ドームのあの空気感は、ずっと忘れない。いいよね、忘れないでも。

 

8月からツアーが始まる。このツアーこそ、KAT-TUNの妖しく燃える魔力の世界が、再びこの地に戻るのだ。あぁゾクゾクする。

 

最後に、中丸さんが充電期間終了でーす!って宣言したことがじわじわくる名言で、もうう一つの名言である中丸さんのこの言葉でしめます。

 

KAT-TUNは、永遠です。」

 

 

キミはペット…中村海人のことだって今知ったんだ

Jr.祭りの城ホ行ってきたんです。運良く土曜の昼と夜入ることができて。ふらっーと気軽な気持ちで入ったらすごく特別な気持ちになっちゃって。なんて言うかアレです。今日はたくさん服買うぞ!って気合い入れていくも全然ピンとこなくて、結局何も買えないのに、いつもの帰り道にたまたま入ったお店で一目惚れしちゃう服見つけて有り金はたいて買っちゃう、みたいなアレですよ。

 

中村海人さん、のことは知ってたんですよ。少なくとも認識して視界に入ってたし。うみんちゅ。うみさん。TravisJapanというJr.内ユニットに所属してる。なんかヒモって呼ばれてる。それぐらいには。ってか、うみんちゅって呼ばれてるの最初知った時、南国の人なの?!って顔見たら、全然南国ちゃうやん…ってなったし、カイトでよくないかぁって思ってた。今は語感のかわいさがまさにうみんちゅ!って感じだし、よく分かる。焦点が定まると一気に分かるこの感覚すごいあるある。

 

Jr.祭り以前の直近の記憶探したらえび座だった。

 

ある日、えび座で前髪ぱっつんにしてきて、しかもずいぶん眉毛上で、工作用のハサミで切ったみたいな前髪になってて、エヘヘへって前髪気にしててた。ふーん、ヒモって言われてるだけある所作だよなぁー、かわいいって言うことをよく分かってるよなー、へぇー。って思ってたかな。

 

12時30分(昼公演):中村海人メモ

・MC前ぐらいから、あれ?足ひきずってる子がいるぞ?(with双眼鏡)って注視して、中村海人さんと分かる。

・でも、気のせいかもと隣の友人に思わず話しかける。見てみるね、と一言。偉い。

・MCでグループ毎に集まる時に、やっぱり足ひきずっており、確信に変わる。

・MCでは、へへへーってニコニコしてて、うみんちゅ♡ってやっていて、お、おそるべしプロヒモアイドル…!!と感動する。(プロヒモアイドル、とは)

・ってかこんなに可愛いお顔だったのかと、急に気になりだす。

・トラジャだけの歌披露。

・愛のかたまり、から。オリジナルの振り付けか!!と興奮する。コンテンポラリーとレポにあったけど、希釈100倍にしたくらいのコンテンポラリーだろうか。コンテンポラリー大好きマンなので、最高。

・5人横一列で横の人にもたれかかったりどこか必ず身体に手が触れているところ、この曲の重厚な愛っぷりがハマってる気がして好きだった。

・新衣装らしい、紫ラメの衣装。

・ふと我に返る。

・あれ?足ひきずってた中村海人はどこに?……。

・負傷左足をガンガン使って踊ってた(絶句)

・何かがわたしの胸を射抜いた。

・さっきまでヒモだったじゃん…(絶句)

・トラジャとしてのプライドか、はたまたアイドルとしてのプライドか。同意義か。まるで最初から負傷なんてしてないかのように踊る踊る踊る…。

・次曲Tonightをセンターステージでやるために花道移動(もちろん演出有りきで)。しかしここでは少し足をひきずっておられた。歩く方がツライのかな。

・Tonightのラップがまさかの中村海人。ゴリゴリの二階堂節そっくりすぎて。目こする。同一人物だった。(レポでも驚きって感じだった。なんとなくこのJr.祭りで新しいことをたくさんやろうとしてる感じ。)

・あともうここからなんの曲かはっきりしないけど、続ける。

・ファンサ曲で外周を歩きながら一周する時に、足をひきずりながらもお顔は終始エヘヘへ顔で両腕ぶんぶん振ってファンサしてる中村海人。\(^o^)/←まさにこれ。ご主人に尻尾ふる子犬そのもの。はっ!これがヒモ!(唐突に悟る)

・すれ違う仲間たちが、腰にポンって手をやったり、肩組んだりしていて、その都度エヘヘ顔でニッコリしてる中村海人。仲間(泣)

・ここら辺から、もうオバさん無理です…可愛くってツライよ…モードに。可愛さで血圧上がってた気しかしない。

・阿部ちゃんにいたっては、中村海人に背を向けてしゃがんでホラっておんぶしていた。エヘヘへ顔の中村海人。ムーリーーー。スキーーー。カワエエエーーーー。

・阿部ちゃんのお兄ちゃんな感じにダブルで動悸がすごいことに。

・ここで隣の友人が、足怪我してるっぽいねと一言。ごめん、今それどころではないんだ。

 

17時数分遅れ(夜公演):うみんちゅメモ

・数分遅れで始まったものだから、うみんちゅの足ひどくなったのかな(泣)(泣)と心の中で半泣き状態。数時間で重症なヒモ病にかかった模様。

ちゃんと最初からうみんちゅもいた。

・一安心(泣)

・昼公演とは違って全然足ひきずってない!応急処置が上手くいったらしい。良かったよまじで(泣)

・たぶん夜公演だけ入った人は、うみんちゅが足負傷してるなんて気付かないんじゃと思うほどに、しっかりと歩いてたし踊ってた。

・エヘヘへ顔に隠される男くさいプライドに惚れてまうやろ。

・夢ハリのうみんちゅとのえるさんとのタップダンスは、昼夜のえるさんのみ。

・ファンサ曲の時にメインステージからセンターステージに、何か話しながら歩いてくるみゅうととうみんちゅ。みゅうとが俺!先行くわ!って感じで笑顔で走り出す。それを見たうみんちゅ、笑顔で足ひきずりながらダッシュするもんだから、みゅうとがコラッって感じでうみんちゅの頭をぺしっとしてた。終始ニコニコなお二人。可愛さとお花畑状態にクラクラする。モウムリデスヨタエラレマセン…。

・トラジャだった時はお兄ちゃん組だもんねみゅうとさん。良きものを今見れる幸せ。違うユニットになっても仲良いのは、清く正しい世界な気がして本当にすごいなぁと感心しかない。

・MCでトラジャグッズの箸を持ってくるのを忘れたとエヘヘへしながら、のたまう販促隊長うみんちゅ。

・しめさんを使って腹話術で、売り切れるといいなぁと販促隊長。はいはい買います。買わせていただきますとも。ヒモってすげぇーー(大の字)

・生活費だとかなんとかってのはどのユニットも言ってた気がする(トラジャとストとか)。オタク銀行24時間開いてます。

・うみんちゅ「箸持ってくるの忘れちゃった。エヘヘへ。あーーチャック開いてたわ。エヘヘへ」ズボンのチャックね。

・言わなくていいから!!と誰かにツッコまれるうみんちゅ。

・ここのチャック開いてたわーーのエヘヘへ顔がすんごく可愛いくて可愛いくて…。瞼裏に焼き付けまくった。

・箸持ってくるの忘れちゃったって言ってる時に、手をズボンのベルト部分に置いてたんですよね。たぶんその時に何気なくチャック開いてるの気付いたっぽい。チャック開いてたわーーと言いながら瞬時にチャック上げてた。

・(チャックをそもそも見てたのかわたしは???!!!)

・もうチャックの話はいいですね、はい。

・時系列あやふやだけど、トラジャだけで歌って踊ってる時に、みやちかさんのキメのセリフみたいなのがあって、そのキメの時カメラに抜かれた瞬間、今まで横で踊ってたうみさんがみやちかさんに抱きついたんですよ。シレッと踊りに戻るうみさん。びっくりしちゃったみやちかさんが、その後の振りが分からなくなっちゃってて…。しっかり者の末っ子があたふたしてるし、させるうみさんもだし、はぁぁぁ可愛かったーーー(墓)。

 

 

 

足負傷してる時に惹かれるってのも変な話なのはよく分かってるんですよ。万全な状態で見てほしいだろうし。でも足負傷してなかったら、わたしはきっとうみさんのエヘヘへ顔と同居する踊ることへのプライドを感じなかったかもなとも思うんですよね。鈍感なもので。

 

安井さんがどこかで言ってた話で、努力なんて見せなくていいんだよアイドルだからっていうの。そういう意識はいろんなジャニーズタレントが言ってるのを聞いたことあるし態度でも感じてきたから、ジャニーズ精神として受け継がれていてすごい。ただそれをプロ意識の塊みたいに見える人じゃない、ヒモなんだよね〜〜ヘヘヘ〜〜ってしてるうみさんから感じたもんだから、シンプルにより男くさい人だなって思った。もしかしたら(もしかしなくても)うみさん自身はそこまで意識してないかもしれなくて。ヒモって言われて、自身でも世話焼かれる感じのほうが性に合ってると思ってるだけかも。だからこそ余計に自然体にヒモであって、かつ、自然体にジャニーズ精神を全うしてる、ことがかっこいいなぁと。

 

足痛い時に(程度も何も分からないから各々の想像でね)エヘヘへ顔しながら両腕ぶんぶん振れないと思っちゃうわけです。お仕事だからとファンが来てくれるからと一回のチャンスだからと思った所で、ふんわり口角上げるだけで充分に役割は果たしてると誰もが思う。だけどうみさんは、いつもと変わらずにエヘヘへできるのシンプルにすごいなぁと。意識的だけど自然体、だからできることなのかな。素敵だ、うみさん。

 

足をゆっくり治してください。

 

またあなたのエヘヘへを見に馳せ参じる所存です!!!

 

 

 

 

夢はまだここに。

初めての経験って一度しか無いものだ。

初めてファンと名乗ったジャニーズは、嵐だった。アイドルに夢を見る経験も嵐が初めてだった。

だからこそわたしにとって、嵐は、ジャニーズファンとして否応なしに形成されていった礎だ。

 

初めて嵐に見た夢は、二度と見れないはずだった。一度しかないはずの夢だから。

 

 

宇宙sixとMADEの合同クリエに行ってきた。

滝沢歌舞伎の映像で、出番を終え廊下を歩いていて呼ばれて振り返ったその時の林さんのアンニュイな切ないような渇いたような雰囲気に惹かれてから、アンダースタディを見に行って、やっと歌って踊る林さんを見れると、簡単な動機だった。

 

見始めてようやくMADEの顔と名前が一致し始めた頃、強烈な既視感に襲われた。

 

MCで、冨岡さんに全く同じタイミングでつっこむ林さんと山本さんと離れて笑ってる江田さん。全然オチがない稲葉さんがだらだらしゃべって、大河さんと山本さんが畳み掛けるように巻き込まれて、はらめぐ置いてかれてない?!ってなった所に、やっぱり林さんと山本さんが前に押し出すようにはらさんをボケさせてて。先輩のあれこれを後ろでぼんやり(しかし楽しそうに)聞いてるめぐろさんに、林さんがマイク通さず何か言ってそこだけで盛り上がってたり。5trainの電車ゴッコの振りの所で、江田さんが稲葉さん(確か)に抱きついてたり、山本さんが10人でやるの楽しい!とか来年も10人でやりたい!とか言ってるの聞いた時とか。

 

MCで、なにかの拍子にThey武道って単語が出て来た時に、合点がいった。わたしは、彼らをずっと知ってた。

 

10年以上嵐のバックを務めるThey武道とMADEとM.A.D。必ず最後にまつもっさんが、俺らの仲間を紹介しまーす!って名前を呼んで彼らを紹介するその映像を何百回と繰り返し見てきた、はずだった。

 

嵐を好きになった頃は、ジャニーズに興味があった訳じゃなく嵐に興味をもっていたから、バックのことなんて全く見えていなかったあの当時。ずっと彼らは嵐が見せる夢を支えつづけた一端だったこと。わたしは当時見ていなかったのに、見ていたこと。不意に、今ここにいる意味が必然だったのだと知った。

 

嵐を好きになった頃、嵐はそれなりに人気があった印象だった。ジャニーズに興味をもっていれば嵐も知っている、そうじゃなかったら5人全員のことは知らない、そんな頃だったと思う。嵐と嵐ファンだけが作る空間のコンサートは、すごく内向きで幸せだった。演出はあくまで演出で、歌は聴かせるものじゃなく嵐とファンの共通言語で、仲間意識を持たせてくれるそんな夢の空間だったコンサート。だからこそ、嵐が、内弁慶の嵐が、嵐ファンじゃない所へ大きく飛び立とうとしてることが分かった時、すごく不安だった。俺らについてこいじゃなくて一緒に夢を見ようって示してくれる嵐が大好きで、きっと手を離した仲間だったファンも多くていて、それでも大きく飛び立つことをやめなかった嵐がかっこよくて誇らしくてだから大好きなんだと思って、だからというかゆえにというか同じくらい不安で。

 

この頃嵐に見てた夢は、二度と見れないんだと出戻りして知った。今はどのグループもどの公演もそれぞれの夢を見ることができて多幸感そのものだけど、わたしの礎であるあの夢はあの時のまんまなのだ。

 

でも、嵐に見てたかつての夢は、まだここにあったのだ。不安で大好きで毎日苦しかった(のは自分自身の環境もあって)時に、彼らも確かにそこにいたから。今の嵐にかつての夢を見ることはできないのに、宇宙sixとMADEには見ることができるんだと。不安なのに大好きな夢を。

 

時代、seasonやDaylightを歌う彼らに、全部間違ってなかったと願望じゃなく素直にそう思った。

 

干されぎみとか出れないとか個人の仕事色々だけどとかそんな現況を一個ずつ一個ずつクリアしていくんだ、と思う。ある日突然、神の思し召しはないだろうけど、少しずつ叶えていく。嵐の影を見てるわけじゃない、彼らの夢を見ていくんだよ、わたし。

 

ダブルアンコを終えて緞帳の向こうに見えなくる彼らを見てたら、来年も必ずクリエで会いたいと思った。

 

seasonの「今 誰のためでもなくて 思い出を抱きしめながら 歩いてゆくよ」を歌う山本さんが、9人の背中を勢いよく指差しながら、最後に自分の胸を叩いたこと。おそらく、身の内から出てしまった感情がそうさせたこと。階段後列にいたからその山本さんのことを、9人は知らないということ。変わってくことを捨てたんじゃない抱きしめて歩いていくんだね。忘れられない光景だった。

 

初めての夢の続きは、こうして始まる。

Sexy Zone presents Sexy Tour 2017~STAGE

セクゾツアー初日と二日目の昼公演に入った。初めてのセクゾコンサート。

 

想像してた印象と全然違った。‘’良い‘’グループのコンサートだった。知らなかった。

 

演出好きとしては、外周もセンステもなくしたショーとして魅せるコンサートでとてもよくできてたなぁと思う。

 

マリウスがSTAGEとはドイツ語で「月日」を意味すると言っていた。5STAGEとはグループとしての月日、5人としての月日、そしてファンの月日だとも。彼らの月日とわたしたちの月日で作る新しいステージ=新しい未来、という意味。各ソロ曲を5人で披露することも、五周年だということも、紆余曲折があったけど、今こうして五周年を五年の月日を経て5人で作るステージ(Sexy Zone presentsだからね)が、どれほど待ち望んで手にしたモノだったのだろうかと、どれほどこれからの未来に少しの不安と有り余るワクワクがあるのかと、感動に震えた。その場に居合わせただけのわたしですらそうなのだから、ずっと見てきたファンたちの胸中を思っては、そっと胸を貸してあげたい気持ち。

 

理由も意味付けも何もなくただ直感で良いグループだと思ったのは、こんなことだったりする。

 

曲中のわちゃっとする間奏で、そうちゃんが床に寝っころがって両肘を付けて両手にあごのせたのね、それにマリウスがそうちゃんと同じ姿勢でそうちゃんの上に乗っかったの。一列だけの人間ピラミッドみたいな感じかな。それを見た勝利さんがさらにマリウスの上に乗っかって、その様子を楽しそうに笑って見てた健人さんの背中をふうまさんがドンッて押して健人さんも勝利さんの上に乗っかったのね、それを満足げに眺めてたふうまさんが最後に健人さんの背中の上にまたがった。そのまま崩れた人間ピラミッドだけど、そうちゃんが起き上がろうとした時に、勝利さんがそうちゃんの背中に片足のっけて(踏んづけてる)、イェイみたいにしてて。そうちゃんが起き上がった後は勝利さんがゴメンゴメンってしてて。それをふまけんが楽しそうに見守ってて。

 

その光景にあぁ良いグループなんだって胸にぐっときたんだよね。その場のノリで何の気なしにやってみた何て事のない時間が、全然当たり前の光景じゃないって知ってるから。

 

 

健人さんのソロ曲ってポップスど真ん中としての完成度で万人総大好きみたいな感じなのに対し、ふうまさんの場合はふうまさんの世界観の中でだけで演じられるある1つの恋愛を歌ったソロ曲で。二人のソロ曲の在り方は全く別ベクトルで(もちろんそこが良いし、交わらないからやっている意味があるし、たぶん相容れないようにどちらかが(たぶんふうまさんかな)意識的に別ベクトルの舵取りしてるんだろうなぁ)、でも確立した魅せ方は徹底してるからどちらも一瞬でその世界に染めてしまうのは、たまらなかった。贅沢だった。つまり大好きだった。

 

ふうまさんのソロ曲は17歳の頃に作詞したソロ曲(と教えてもらった)で、オーバーサイズの白シャツを羽織る所から始まり、ベッドとソファだけの閉ざされた空間演出だった。初日の演出では、ベッドに浅く腰掛けたふうまさんが上下にピストン運動をすることでベッドを軋ませる=二人が身体を重ね合わせてる表現をしていてて、それは床に座った時もやっていたんだけど、二日目はなくなっていて残念に思った。何よりその時のふうまさんの表情から、大切な愛情表現としての意味として身体を重ねることを型どっていたことが分かって、何て言うかふうまさんはきっとリアルでは実直に想い合える恋愛をしてきたんだなということが、そのピストン運動に表れてたと言っても過言じゃなく。その行為を(端的に言ってしまえば)何となくそうするものじゃなくて大切に過ごす時間だということを、何よりふうまさん自身が17歳の時には知っていることにたまらないほどいとおしく感じたのにな。(追記:初日と二日目の曲が違ってたみたい。世界観も変わるから自己演出も変えたんだねきっと。スタッフからNG出たのかと思ってた~。すいません。セクゾの曲もっと知りたいな……。)

 

そんな(どんな)ふうまさんの品のあるしっとりした世界観のソロ曲のあとに、健人さんの晴れ晴れとする甘いハニバタが始まるんだけど、対極の世界観が一瞬で変わるさまにこれがセクゾ年上組の意志なんだと唐突に悟った気がした。ハニバタで落ち生で見たいと願った夢が叶った瞬間だった。モルフォ蝶だからいつも青い衣装なのかなぁと思ってたけど、健人カラーが青色だからなんだと当たり前のことを、青色のペンライトで埋まる目の前の空間に気づかされた。真っ青の少しグラデーションがかったスーツに身を包み、ポケットからキラキラ吹雪を撒いた時はまさに鱗粉で、青い光の中を青い蝶の健人がトロッコで進んでいく時は、夢そのものだった。幸せだった。

 

勝利くんがちょっかいかけるのってそうちゃんばかりで、そうちゃんはふうまさんにも健人さんにもちょっかいかけられるのに、先輩には行けない永遠のセンターと、その永遠のセンターと同期のそうちゃんは素直に先輩に甘えられてる光景を、たぶん分かって見守ってて微笑んで見てるふうまさんと健人さんのお兄ちゃん通り越して親みたいになってる感じに、ほっこりしつつもぐっとくる。かわいいねしょりそう。

 

最後に健人さんにファンサされたことを記して締めたい。未来の自分よ、人生に疲れた時には見返せよ。

 

初日は北スタンド中段の席だったんだけど、アリーナをトロッコで回る曲の時だった。スタンドトロッコじゃなく、アリーナだよ?!スタンドトロッコより全然遠いよね?!アリーナトロッコで北側に来た時に、わたしはオペラグラスで健人さんをガン見してたのね。汗ファンサとかしてる健人さんとかファン込みでめっちゃ面白いから。そん時オペラグラス越しに健人さんと目が合った。いやいやオペラグラスだぜ?そりゃペンライトは青色にしてたけども!わたしうちわとか持ってないよ?ここスタンド中段よ?勘違い勘違いって気にせずオペラグラス離さす見続けてたのよ。ここまでコンマ何秒の話ね。そしたらオペラグラス越しに目が合ったまま今度は指差ししてきたのよ。たぶんオペラグラス越しには二回だった。ヒェェェ……ま、まじかぁぁぁって慌ててオペラグラス離して(たぶんこの時もまだ信じてなくて自分にされてるとは)、健人さんを見たらオペラグラス越しと同じように目合わせて指差ししてきたのよ。たぶん今度は三回の指差し。思考停止した脳を無理やり起こして、苦笑いのまま手を振ったんだけど、あぁぁぁちゃんと笑わなきゃって思ったらもう健人さんのトロッコは視界からいなくなってた。

 

いくつも現場の中で、目が合ったのかなとか手振ってくれてるのかなって思っても、うちわ持たない系ヲタク・自己認識されるとか恐怖でしかない系ヲタク・周りの席にファンサしてるのを眺めて楽しむ系ヲタクだから、割りと信じてなかったんだけど、今回ばかりははっきりと目が合ったと確信してしまった。そしてたぶん指差しはファンサでいいんだよね?ファンサと思おう。

 

初めて自担にファンサされて知ったことは、大勢のファンの中で自分と自担だけの時間があったという事実にときめくんだなぁということ。何秒の時間だけど。健人さんが「今は僕とハニーの世界」と直接提示する瞬間に驚いたけども(前の前の記事より)、まさにそうだった。健人さんには二回も見つけられてしまった。素直にありがとうって思う。乙女か。でも健人さんの前でなら(なけなしの)乙女でいることを許してくれるかな、いざなってくれるかな、って思ってしまう。

 

何度も肩を見せてた健人さんには、あたたかい毛布を掛けてあげたい、そんな目線でファンやっていくので、よろしくお願いします。

 

 

「セクシー時代を創ります。」

そう言った中島健人の未来予想図には確かに見えていると確信した、そんな二日間でした。

 

素晴らしきセクシー時代を。

関西とジャニーズと末澤くんと

関西ジャニーズジュニアたちは仲間であり先輩後輩であるのと同時に家族だ。ライバルという関係はあるとは思うけれど、今日見た彼らにはライバルという個々人で切磋琢磨し合うというより、家族で支え合ってみんなで乗り越えていくというほうがしっくりくる。

 

前回の冬公演にいた赤名くんが春公演にはいなかった。辞めたかもしれない、と去年のクリスマスイブにウエストのライブに行った後にもっぱら噂になっていた。赤名くんがいない、古謝くんが泣いてた、とかそんなのがたくさん流れてきた。年が明けていつのまにかドル誌にも載らなくなり、噂は本当だったのだなと知った。でも自分のこの眼で、赤名くんがいないことを確かめるまでは実感がわかなかった。

 

そして今日、関西ジャニーズジュニアの松竹座春公演に行った。

 

赤名くんはいなかった。

 

いないことを実感するとどんな感情になるのかなぁって思ってたけど、不思議なほど淡々とあぁステージに戻ることはないんだという事実だけが頭をよぎる、その程度だった。冬公演で、上手隅っこで吉岡くんとエア壁ドンしてキスしそうになって楽しそうにキャッキャしてた赤名くんを昨日のことのように思い出すのに、同世代の中でも群を抜いてキラキラしててそのキラキラを見ることがファンさなんじゃいないのかなってぐらいにステージが似合うのに、その程度って。この薄情さよ。どうか生きていてくださいね、赤名くん。

 

今回は、赤名くんがいないだけでなく滝沢歌舞伎に出ることになった室くんも不在だった。

 

二人がいないことで‘’穴を埋める‘’のではなく、‘’今までやってないことをやろう‘’という演出・構成になってたのかなと感じた。こういう時に、ジャニーズとはプロ集団であり、お金をもらってステージに立ってるのだなと強く認識する。感傷にひたることはないし(少なくともステージ上では)、不在を感じさせるような隙は見せるなんてあってはならない、それゆえの魅せ方だった。いや、関ジュだから出きたことかもしれないね。数回見てきた関ジュ松竹座公演で、もっとも演出がすばらしかった。赤名くんがいないことに反比例して演出がもっとも好きだなんて、つくづくジャニーズ沼とはファンの心までも情も何もかもさらけださせてしまうのだなぁ。こわい。

 

二人がいないからこそ関ジュみんなで1つの公演を成功させるというのは、ライバルうんぬんなんか言ってられないし一人が背負ってる役割や立場ってすごく大きいからこそ、家族を感じるんだなぁとも。東京が中心に据えられるジャニーズ活動にとって、関ジュというものは松竹座で見続けていくことはこうも内輪なんだなぁ。エイトもウエストもそうやって飛び立っていったのだ。ドラマチックだし大阪だからまたドラマチックが似合う。

 

今までは赤名正門小島でバンド形式が多かったが、赤名くんがいないことで、正門小島が積極的にダンスをし歌うのが、新鮮でこれからが楽しみになった。コントのロッカーの役の時に、西畑さんにお尻チョロンって撫でられる仲良し正門さんが案外男っぽい雰囲気出してて、それも二人が不在だからコント参加しなければ気付かなかったのかもしれないね。男の子というより男の人っていう雰囲気の正門さんが、流星さん小島さんと猫中毒やった時は、見てはいけないものを見た気持ちになってなんかモジモジしちゃった。嫌じゃないんだなぁその感じ。性癖ってやつですね。はは。

 

わたしが関ジュに興味を持ち始めた時はちょうど、永瀬さんが東京ジュニアになったのかとか向井さんのシンメさんが辞めてしまったりだとか、割りと過渡期だった気がしてるので、どうしても向井さんと西畑さんと流星さんは、個の印象が強い。この3人が同じグループになってデビューすることは絶対にないんだろうなぁと思ってしまうくらいに、個の魅せ方で完成されている。絶対にないことないのがジャニーズだけど、ないだろうなぁ。求められてもない気がするし。でもこの3人が今の関ジュを引っ張るメインだし(室くんや浜中さんは見守る先輩たちって感じ)、Fanky8がグループとして集中できるのもチビッ子たちがたくさん場数を与えてもらえるのも、3人が3人として堂々と関ジュ代表としていてくれるからだ。

 

そういうこともあってか、向井さんが関ジュのために居なくてならない責任を背負って活動してるのかなって思ったりする時があって。だって西畑さんや流星さんはジャニーズという業界の世渡りが軽やかなのにたいし、向井さんはそこら辺が世渡り上手になりきれてないように感じるから。今は本人は気づいてないかもしれないけど、すごく大事だなこだし今後必ずや活きてくることなんだろうけどね。境界が曖昧であるがゆえの矛盾を感じながらステージ上にいつづけることこそ、向井さん自身の秘めてる感性を引き出していくだろうから。

 

V6の曲で向井さん一人メインの時、かなりの細身とスタイルの良さから繰り出されるしゃかりきダンス。表情を作る余裕なんてないほどに、この一曲で持てる最大限のダンスをする、そう決めてるような魅せ方が、わたしは好きだ。責任を背負ってるとかそういうのはこの一曲を披露する数分の間には、一切感じなかったし、彼がアイドルとしてステージに立つための真っ直ぐで正直な姿勢の表れなんだなぁと知った。わたしは、向井さんこそデビューして報われなきゃいけない人だと思っている。

 

今回は新橋演舞場ですとんずと関ジュ(向井西畑流星3人)が行った東西合戦とコントや曲内容やセットが同じのも多かった。時間が取れないとかって理由だと思うけれど、松竹座公演は盛り盛りにいつもながら詰め込んでるところが関ジュの努力と技量をより感じた。

 

エイトのwaterdropをFanky8が椅子を使ったダンスと白いスーツと赤い薔薇という演出も、最高だった。ブリュレを関ジュ全員の群舞のようなダンスも二階席一列目からだと全て見えたしステージいっぱいに狭しと踊るのは一人でもタイミングがずれられないのも含め、最高だった。 じょうくんがたぶん室くんがやるはずだったツッコミをコントでやってて、いつもボケるけどツッコミ向いてるなぁと思ったしツッコんでるじょうくんは、好きだった。はれたろうくんが、ダンスに紛れて独特のポーズをしてたりおいしいボケを魅せたり、最高だった。期待大だね。

 

そして、わたしは、末澤誠也くんを担当にすることに決めた。

 

冬公演の時に、なんて繊細に踊るんだろういや繊細さは踊りだけじゃない表情もだ、って気になってはいた。でも今日は、群舞にいても隅にいてもすぐに末澤くんを見つけられるし目で追っていた自分に気づいてしまった。大野さんのダンスがジャニーズイチと断言し担当としてきたので、あの衝撃を越えるダンスでもない限り次の担当なんてあり得ないよ~って思ってたはずなのに。決め手は、公演中、末澤くんにファンレターを書いてみたいかもって思ったことだ。ファンレターを書いたことは一度しかない、それもグループについての内容だった。そもそも自分自身の何かのアクションがジャニーズアイドル様に間接的にでも触れさせるなんてあり得ないと思ってるタイプの人間なのだ。彼らの視界になるべく入りたくない(汚してしまうから)、街中で会っても声をかけてはならない(世界が違うのに交わるなんて言語道断)、握手会も二度と行きたくないいや行きたいけどわたしが幽霊になって、アイドル様に存在を悟られずにお近づきになりたい、っていう思考なのだ。端的に言って、宗教だから。なのに、ファンレターって。書くのかな書かないのかなどうだろ。アイドルという神に自己の存在を主張するなんて、許されることでしょうか。

 

担当になってもいいですか?

 

なんてね。

 

 

 

 

中島健人の「Forever L」

中島健人というアイドルがよく分からないでいた。いや今も分かっていないかもしれない。

 

なのに。なぜ。

 

別に担降りの話をしたい訳じゃない。

 

今年のある冬の日。少年倶楽部で、中島健人は「Hey!!Summer Honey」を歌った。本当の意味で見つけられた、見つけてくれた、と思った。Jr.を引き連れ、嬉しそうに楽しげに軽やかに舞いながら、ステージに出ていく瞬間、あまりに美しく可憐な蝶々が撒き散らす鱗粉に少し混ざっていたのかもしれない、毒が。

 

アイドルという作り物に現実という劇薬を一滴垂らすことで、侵食されていく虚像の世界が、たまらなく好きだ。KAT-TUNはその筆頭かもしれない。現実に地続きのモラトリアムであり続ける嵐だから、はまったのだろう。リアルこそ最大のフィクションなのだから。

 

でも中島健人にはリアルがない。というか私の想像範囲内の日常というリアルがないのだ。虚像を作ってそれを体現するアイドルはたくさんいるけれど、虚像とリアルが一体化するアイドルを、私は中島健人しか知らない。

 

小クラで鱗粉に触れてから指折り待ち望んでいたのがこれ。

 

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花=ファン、蝶=中島健人、というアイドルプレイの花札のようなコンセプト。「#Honey♥Butterfly」(白黒のハートが変換できなかったのでやむなく)というタグ付けされた、蜜と蝶の形をした愛を世界に届けたい、という意味。完璧。

 

蝶々のイヤーカフをグッズとすることも(ファンも健人も同じものを身につけるなんて!!)センス抜群。イヤーカフを身につけた健人は、ちゃんと男の子に見える(過多に可愛すぎない)のに、これがまた似合うのね蝶々が。アイドルの所作が身に付いてるから、癖が見え隠れするような(むしろ全然リアル見えないんで仕方ないよほんと想像しちゃうのは)偏ったソロ曲でも、一切ぶれないアイドル像が。

 

最後の曲が「Forever L」。

 

それまで蝶々と花として楽しくキャッキャしてたのに、真剣に真面目に伝えたいことが伝わるように、強い眼差しで決意に満ちた表情で、歌いだすこの曲。

 

曲紹介前に健人はこう言った。

 

「今は、俺と、ハニーの、世界です。」

「俺と、そしてハニーと、この愛が、永遠に続くように。その奇跡を、永遠に起こせるように。」

 

誰も茶化すような合いの手を入れなかった。

なぜなら、中島健人は嘘偽りなくこの想いをこの言葉で伝えた、伝えたかったということが、画面を通してですら、痛いほど分かるからだ。

 

瞬間は永遠であるという一つの真理を、彼は身をもって証明しているのだ。

 

虚像なんてものじゃない、真理しかないのだ、彼には。

 

そしてアカペラで歌いだすのは、作詞中島健人のこの曲の歌詞のある部分。

 

『愛してるよ  離さない君とForever LOVE  涙抱きしめいこう  変われるよ  君となら  ピリオドの無い  愛を掴んでいこう 』

 

中島健人は、心から‘’愛‘’を示している。決して陳腐なんかじゃない、崇高な‘’愛‘’を。

 

それなりに大人になってからでないと分からなかった、彼の清さが。

 

汚いもの、醜いもの、社会の中の囚われ、そしてありとあらゆる時間軸から解放された時に最後残るのは、そうパンドラの箱の底にある希望。

 

恋に似た、でも恋よりも深い精神世界。中島健人のアイドルとは、そういうものを見せてくれる。

 

『終わりのない世界へと  君を連れていくよ』

 

「おれはお前らとKAT-TUNが大好きだ!!!」KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY LIVE TOUR “10Ks!”

これは最後の挨拶で感極まった上田さんがダブルアンコールで叫んだ言葉だ。そして中丸さん、亀梨さんが全く同じこの言葉を言ったのだった。

帰結する所は至極シンプルで普遍的。彼らも私達も。

初日名古屋ドーム公演に入った時は、お祝いだけど緊張感ある演出にそう来たかと唸ったけど光栄だなと思った。京セラドームは、少し緊張が解けたのかメンバー自身がくだらないことで盛り上がっていつもとなんら変わらない楽しい公演だった。東京ドーム三日間の内2日目までは、名古屋と大阪にはない水の演出が増え、やはり彼らのホームだなと思った。でもまだ充電期間に入ることへのやるせなさ、悔しさ、悲しさ、戸惑いがしこりのように残っていた。

そして最終日。彼らと私達は確かに同じ想いを持って同じ景色を共有した。間違いなくそう思った。ショーを提示しそれを受けるのがKAT-TUNのライブの在り方だと思ってたのに、銃を突き上げながら何度も何度もK!A!T!T!U!N!と身体に刻みつけるように3人も私達も叫び続けたのは、ショー云々なんかじゃなく、ただの決起集会だった。充電期間を乗り切り未来を共に歩んでいくために闘うための。この景色を私はずっとずっと忘れない。気づいたらしこりはなくなっていた。

「わたしはみんなとKAT-TUNが大好きだ!」

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ドームのすり鉢型を船内に見立て、メンステの船首というか甲板を模したセットで、ドームそのものが船(というか海賊船)になっていて、私達は銃(ペンライト)を装備している海賊船の乗組員。という設定がもう最高で唸った。昔の海賊コンは海賊船がメンステに出現するというものだったが、今回は私達を乗組員にするためにドームそのものを船にする必要があったんだろうと思う。それがなんというか彼らの“KAT-TUN”としての高い矜持を私達にまで託そうとしてるというか。“KAT-TUN”だから圧倒的別次元でステージで存在し魅了しなければならない、とするその誇り高い思考に惚れているんだけど、今回の10周年は充電期間目前という形から、いつも通りの圧倒的別次元のステージを選択しなかったのは、彼らの丸腰でステージ挑んだ初めてのライブだったんじゃないかと思う。もちろん特効ガンガンだしレーザー乱れ打ちだしなんせまたもや海賊だしってのはあるけど、ファンサ曲多いし(それでも嵐よりは少ない)ポスター抽選会やるしボイパコーナー進化してるし、とにかく皆で楽しんじゃえってのが、お祝いムード一色で。


だけどその根底にあるのは。


赤く光る銃の引き金に指を置きいつでもぶっ放す準備をしている何万もの乗組員は、海賊船を率いる3人から、『共にその銃で闘ってくれないか』という懇願を受け入れるためのまさに決起集会の様相だった。海賊船を最後降りていく3人は、大切にしてきた孤高の矜持がもたらす印籠を心中する覚悟で持っていてくれと乗組員に託したのだと。

演出の意味は現実の意味にも直結している。彼らは充電期間がいつまでか分からないと言うのは本当にそうなんだろうと思う。ソロ活動でKAT-TUNの名前が今以上に薄れたその時に、絶対的にグループとしてファンから熱望の声が今のKAT-TUNのファンの数をはるかに凌ぐ数で挙がらなければ、KAT-TUN復活はないかもしれない。

共に闘ってほしい、自分のファンも二人を応援してほしい、必ず東京ドームに戻ってきたい、そう言って頭を下げる上田さんにいかにグループとしての戦況が厳しいか物語っているのではないか。素直に真っ直ぐに何度も何度も頭を下げるその姿はずっと脳裏に焼きついている。

中丸さんは、ソロ活動でもこまめにチェックしてほしいとJwebの連載ページのごとく事務的にこれからの事を伝える一方で、最終日のトリプルアンコの捌ける前の挨拶で、真面目に「本当にファンの方には感謝しています」と言った時、そんなの知ってるよって思いながらもこの挨拶が一番飾らない中丸雄一の言葉なんだなぁと思った。亀梨さんからも上田さんからも私達からもこんなに愛されてるのに中丸さんはズルいなぁとこういう時にいつも思う。あんなに泣きじゃくる子供みたいな泣き顔をステージ上でメンバーに私達に見せるなんて本当にズルい。

不確かな約束の言葉は決して言わず淡々と、KAT-TUNは6人で始まりそれは今尚KAT-TUNたらしめてるという意味を言葉にする亀梨さんに、もしかしたらいつでも散る覚悟で、瞬間瞬間をKAT-TUN亀梨和也として生きてるんだなと。長い命であってほしいと思うこちら側に反して、短命でもKAT-TUN亀梨和也であることが全てとするその姿勢に、絶対的にこの人にはKAT-TUNが必要なんだと背筋伸びる緊張感をもたらしてくれた。

上田さん中丸さんが感極まりそれがまたエモーショナルに私達に働きかける中、睨みつけるようにお前ら休んでる暇ないからなとニヤリと笑う亀梨和也に、自分の手で傷口に塩塗って痛みと向き合ってきたんだろうと思いながらもそんなレベルなどとっくに超えて、頼もしい男気溢れるその背中に散る瞬間まで君に幸あれと願わずにはいられなかった。

本編最後で君のユメ僕のユメを歌った時は、私達に向けて歌っている歌詞だなぁと思った。デビュー曲のギリギリでいつも生きていたいからという歌詞がブラックジョークになってる事を上書きするかのようだった。最終日のアンコでプレワンを歌った時、亀梨さんが口に水を含んでそのペットボトルをピアノの前に座った上田さんに渡し、上田さんが一口飲んだ後ピアノの上に置き、それを中丸さんが手に取り飲んだ時、これは3人の契りだ約束だ固い絆だと強く思った。この最終日のプレワンはドーム全体で自然発生的に皆で歌っていて、君のユメ僕のユメと似通う歌詞があっても(一人ぼっちにしない、とか)、プレワンは彼らが彼ら自身のために歌っていてほしくて、でもそんは固い絆を交わす3人を包むかのような皆の合唱は、あったかくて3人にも届いていて、そこからはもう3人と私達とKAT-TUNが渾然一体となっていった。タイトルの「おれはみんなとKAT-TUNが大好きだ!!!」と叫ぶ上田さんも、その日3回も歌ったピスフルでK!A!T!T!U!N!と身体中から何か全てのモヤモヤを出し切るかのように叫ぶ私達と3人に、こうやって晴れ晴れとした気持ちでソロ活動に臨んでいけるのは本当に良い一時のサヨナラだった。

現状は厳しい。でもまだ見ぬ地図に行き先は書いていない。どんなふうにでも走っていける。共に銃を掲げ準備は万全だ。

私達でKAT-TUNを東京ドームに舞い戻らせようじゃないか。

そんな未来はそう遠くないことを祈っている。